狼女は夢を見るか


 狼女、オラリオ=ウルフ・アルバ。
 つい3年前に先代セントラル・ライン管理局長からその地位を譲られた、ノース・シティ出身の狼人間の女性の名前だ。現在では『アルバ管理局長』よりも、『中央の狼女』という通称の方がよく知れている。

 任命された当初こそ戸惑ったものの、元々彼女は完璧主義者のきらいがある。やるからには徹底的に。そういう意味で、彼女にこの仕事は向いていた。
 着任して半年で、半ば無法地帯にも近かった中央に、『狼女の七大禁忌』と呼ばれるようになった法律を作り、特に治安の維持を強化した。中央は都市則で軍事力を持てない。その為彼女は、自分の下に直属の機動隊を作り、児童学校に軍事科を作ることで、他都市や住民に対する抑止力とした。

 一部住民からの反感は多くあったものの、それだけの価値はあることだった、とオラリオは確信している。
 仕事が一区切りつくのに、3年かかった。そしてようやく余裕ができ、彼女は前々から着手を考えていた、ある1つの計画を実行に移そうとしていた。そのことでどうしても意見を聞きたい人物が居て、彼女はこうして、ようやく日が沈むか、といった時間帯に、とっくの昔に卒業した児童学校の廊下を歩いているのだった。

 オラリオが止まったのは、『職員室』と書かれたプレートの貼ってあるドアの前。ノックをしようとすると、その前に中から声がした。

「どうぞ」

「失礼します……」

 卒業して何年も経つのに、職員室の扉は、相変わらず重く感じられた。

「あら、リオンじゃない。どうしたの? あなたが来るなんて、珍しい」

 職員室の奥、一際静かな空間。もう5年近く呼ばれることのなかったオラリオの愛称を呼んだのは、霧がかかったようにくすんだ金髪を頭の後ろで1本にまとめた女性だった。エルフのように長い耳と、背中から生えるドラゴンの羽。ドラゴンの里からやって来た、ホワイト・ドラゴンのドラゴニカだ。名前を、レーナアリア・邦子=ロスカット。今は児童学校で、飛行学の教師をしている……と、オラリオは聞いていた。

 懐かしい大学時代の先輩に、オラリオは軽く頭を下げる。

「邦子さん……ご無沙汰してます」

「あら、堅苦しいのは抜きにしましょ。私とあなたの仲じゃない。……それともなぁに? ここへは管理局長様として来たのかしら?」

「いえ……少し」

 オラリオの様子を見て何かを思い至ったのか、邦子は軽く息を吐くと、隣の椅子を引いた。

「とりあえず、座ったら?」

  *   *   *

「邦子さん、その……もし、私が、誰か人の親になる、と言ったら……なれると思いますか?」

 しばらくして、オラリオが、ぽつりと言った。邦子は驚いたようにオラリオを眺めていたが、ふっと口元を緩めた。

「何? リオン、結婚するの? いいんじゃない、おめでたいことだわ。それにしてもまさか、あの狼娘がねぇ……」

「違います! そうではなくて……」

「あら、じゃあ、養子? 子持ちの部下でも死んだ?」

「邦子さん! 縁起でもないことを言わないでください!」

「だって、それ以外に、人の親になる理由も方法もないじゃない。まぁ、方法は他にもないでもないけど」

 邦子は不貞腐れたように頬杖をついた。邦子のことだから、オラリオが自分の体細胞からのクローニングを考えているくらい、きっとお見通しなのだろう。オラリオはそれに苦笑して、静かに語り始める。

「……私はまだ、この都市の形は、不完全だと思うんです……」

「そんなことないわ、随分暮らしやすくなったじゃない。法律の整備に、元からあった鉄道だって運営を見直されて、市場の人達もかなり楽になった、って言ってたわよ」

「そんなの、まだまだ微々たるものです。本来の中央の役割は、四方都市の関係を調停することにあります。今、中央はその役割を果たしていると言い難い……」

「ああ、東のツェリアと西のグレイリバー? あの2人は諦めなさい、犬猿の仲ってあのことよ。どうせ、グレイリバーはもうじきくたばるわ。西に不穏な空気があるって、学生の間でもっぱらの噂よ」

「それもありますが……恐らく、ツェリアは管理局長が交代したところで変わらないでしょう。それに、今後、また同じことが起こらないとも限らない……。その時に、四方を調停できる整備を、私は整えておきたいんです。私が居なくても、大丈夫なように」

「いいんじゃない、別に。それと子供と、どういう関係があるの?」

「……現在、中央にも、不穏な動きがあります。恐らく、法での規制を快く思っていない住民たちが、政権交代を狙っている……。その時に、信頼できる部下が居るならそれでもいいんです。でも、万一、それが出来ないなら……」

「子供に後を任せたい、って? いいんじゃないの、別に。東西は下克上や譲渡が一般的だけど、南北なんかは世襲制でやってたりもするし。雪椿のところは子供が3人姉妹だけど、誰が継ぐかしらね? 私は長女が有力候補だと思うわ」

「邦子さん、話が逸れてます。とにかく私は、来たるべくに備え、できる限りのことをしておきたい。でも……」

 オラリオは言いよどんだ。少し不安げに、自分の膝を凝視する。

「でも……そんな理由で、子供を育てて、良いものなのでしょうか。私には、良い母親になれる自信がありません。そんな母親に育てられて……子供は、幸せになれるのでしょうか?」

 不安と恐怖に震える声で語るオラリオを見ながら、邦子は、オラリオに初めて会った日のことを思い出していた。
 大学の研究室でバディを組むことになった2つ年下の少女は、びっくりするくらいに理性的で、揺るぎない、決して感情的にはならないタイプの人種だったのを覚えている。そうと決めたら、迷うことなく、それを貫き通した。
 そんな彼女が、こんなにも揺らぐ日が来た……邦子はそれだけで、おかしな気分になる。

「……いいんじゃない、別に」

「ですが……」

「いいのよ。要は、あなたがどれだけ努力をできるか、じゃない? 結果は後から、勝手についてくるわ。そうでしょう?」

「邦子さん……」

 邦子は笑いながら、オラリオの背中を軽く叩いた。

「らしくないわよ、狼娘。あなたが決めたなら、間違いなんてあるはず無いじゃない。いざとなったらこの学校に入学させちゃえばいいわ。私が責任をもって、幸福な子供に教育してあげるから」

「……そう、ですね。その時は、お願いします」

 ようやく、オラリオの顔に笑顔が戻った。清々しい気分で、職員室を後にする。
 この1年後、アイリス=C・アルバが誕生し、さらに、この学校の生徒になることにもなるのだが……今はまだ、未来など知る由もなく微笑む2人であった。


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